JazzとRockとLife Science

欧米の70年代とその前のロック、ジャズ、チープオーディオ、生命科学、などなど。

麻生太郎を総理大臣に!

総裁選が始まったが、始まる前から派閥談合で福田氏に決まりだそうだ。しかし、それでいいのか。そもそも多数派工作をして過半数を確保してからようやく立候補する福田康夫は気に入らない。それでも男か。「多数の議員が推薦してくれるから出馬する」とは何事だ。自分が総理になれそうだから出馬する、と言っているのと同じではないか。自分が勝てるかどうかが出馬の理由か。そんなことでいいのか、日本のために、国民のために総理大臣になりたいのではないのか。「私はどうでもいいですが、皆さんが是非にというので・・」そんな心持ちのやつは即刻政治家をやめてほしい。われわれは信頼できる力強いリーダーを必要としているのだ。いつも皮肉や言い訳などをぶつぶつ言って内向きな福田にはリーダーとしての華がない。こんな女々しいやつを日本の顔にしてはいけない。
 福田に比べれば、日本の将来のこと、国民の安心と希望を守ること、国際社会における日本の地位のこと、いろいろな問題を背負って、私がリーダーとして引っ張っていくと明言する麻生太郎の方が遙かに潔くかっこいいではないか。ほぼ負けだとわかっていても、一度決心したことは貫いて、正々堂々と論争で勝負していく。少なくとも私利私欲で総理大臣になりたいのなら負け試合に出るはずはない。党優先の福田より自分の意志、言葉で行動する麻生に総理大臣になってほしい。
 自民党の若い議員の皆さん、次の選挙のことばかりに捕らわれず、日本のリーダーに誰がふさわしいのか、ご自分の意志で投票していただきたい。地方党員の皆さん、あなた方が議員さんたちの指示どおり投票するのではあなたたちの存在意義はありません。政治屋の談合に与する必要はありません。プライドを持って投票してください。
 私は二大政党が拮抗するアメリカ型の議会が理想的だと思っているので、今は民主党を支持しているのだが、消極的理由で出馬した福田がすんなり総理になるのが腹立たしいので一言書きました。

早稲田実業vs駒大苫小牧 死闘延長15回引き分け

いやすごい試合でした。高校野球は最近ほとんど見てなかったんですが、たまたま今日は決勝戦やってて、ついつい延長15回まで全部見てしまいました。ありきたりの言い方ですが、息詰る投手戦でした。延長が進むにつれて両投手とも疲労していたでしょうけれど、投球はほとんど衰えず集中力を維持して想像力あふれる配球をしていました。特にすごかったのは、早実の斉藤投手。延長になってからも再三ランナーを背負ってそれを何とかしのいできて、おまけに14回の裏には自分が塁に出て走ったものだから、次の15回にマウンドに立った斉藤君の顔には疲れがにじみ出ていた。ところがである。2人の打者を何とか打ち取って、3人目に相手4番強打者の本間君。そこから斉藤君は突如146キロ、147キロと超速い直球のみびゅんびゅん投げたのだ。解説者もアナウンサーも唖然としていた。そして2ストライクをとった後、最後はフォークで空振り。圧巻であった。

Billy Joel Live

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12 Gardens Live - Billy Joel

久し振りです。
今更ビリージョエルかよ、とつっこまれそうだが、このライブ版なかなかいいです。11月の日本公演のチケットも売り出されましたが、この2枚組CDの32曲聴いたら、もうライブ行った気になりました。演奏もメリハリがあって、録音もいいし、細かいピアノのミスもそのまま、今生きているビリージョエルが聴けます。それにしても歌のうまさ、声の艶やかさ、張りはとても60に近いおっさんだとは思えない(キーを下げている曲もあるようですが)。ピアノの腕は円熟期という感じでかなり自由に弾いていますが、のっけからの超高速の単音連打には驚かされました。
 このCDではベスト盤でおなじみの名曲はほとんど入っていますが、特に、あまりヒットしなかったアルバム「ナイロンカーテン」から5曲も選んでいる事が特徴です。ビリーもこのアルバムには最も思い入れがあって、きっとライブでやりたかったんだな。実はこのアルバム、私の大好きな一枚で、ビリージョエルが初めて社会的問題を扱ったアルバムです。乱暴に言ってしまうと、これはビリージョエルによるビートルズのオマージュです。曲も音もそれらしく凝りまくっています。冒頭の曲『アレンタウン」のメロディーが最後の幕引きの曲「オーケストラはどこへ」のエンディングに出てくるところは、サージェントペパーやアビーロードを思わせます。今回のライブでは、このアルバムからの「グッドナイトサイゴン」が特に力が入っています。「地獄の黙示録」を思わせるヘリコプターのプロペラ音もしっかり入れています。
 このライブはニューヨーク、マディソンスクエアガーデンで行われたもので、私が愛する曲「New York State of Mind」では一部歌詞の地名を変えて歌ったりして大変盛り上がっています。また、「ピアノマン」での大合唱には思わず胸が熱くなります。
 「ナイロンカーテン」の後はビリージョエルらしい独創性はなくなってしまいましたが、それでもこのライブやベスト盤でもわかるように、時代を超える名曲を10数曲も書いた作詞作曲能力、それに歌唱力、ピアノの腕、やはりビリージョエルは天才です。

なお、輸入盤でも日本盤と同じ32曲入っていますので、歌詞や日本人の解説の要らない人には安い輸入盤がおすすめです。

日本が決勝トーナメントに行ける可能性

日本は無得点で、クロアチアと引き分けてしまった。戦犯はやっぱり柳沢。目の前にゴールががら空きで、体に当てるだけでも入っていたのに。ああ、あそこにゴン中山がいたなら。。。なぜジーコはあの役立たずの病み上がりを待ってまでドイツにつれてきたのか。同じ病み上がりなら、久保の方がまだポストに使えて、決定力もはるかに上だったのに。。。この際、小野をFW起用でもいいじゃないか。柳沢にしても、玉田、大黒にしても、世界レベルからすると技術が低すぎる。オーストラリアを見よ、ガーナを見よ、初出場の国だって、個人技は彼らより明らかに上。対抗できるのは、小野しかいないではないか。あーあ。

さっき、ブラジルがオーストラリアに2-0で勝ったので、まだ決勝Tに行ける可能性は残った。しかし、実際には極めて困難である。まず、日本はブラジルに勝たなければならない。また、オーストラリアは最終戦でクロワチアに勝ってはいけない(勝てば2勝であがり)。さらに、日本は現在得失点差-2だから、クロアチアがオーストラリアと引き分けた場合、日本は2点差以上でブラジルに勝たなければいけないのだ(現在、オーストラリアは得失点差0、クロアチアは-1)。かりに日本が2-0でブラジルに勝つとしよう。その場合、オーストラリアが1点でも入れてクロアチアと引き分けると、日本と同じ1勝1敗1分けで得失点差は+1となり、日本の得失点差0を上回る。したがって、オーストラリアは0点でなくてはならない。つまり、日本はオーストラリアが入れる得点を2点以上上回ってブラジルに勝たなければならないのだ。一方、クロアチアがオーストラリアに勝つ場合を想定すると、日本はクロアチアが入れる得点より1点以上上回ってブラジルに勝たなければならない。いずれにしても、日本は最低でも2点差をつけてブラジルに勝たなければならないのだ。

グループリーグ最終戦、果たして奇跡はおこるか。

一目瞭然

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「パンフ盗用」デザイナー、新潟県観光協会に仮処分申請
 自分の作品と酷似したイラストを使用した観光パンフレットなどで著作権を侵害されたとして、ワープロソフト「一太郎」のロゴで知られるグラフィックデザイナー、進藤洋子さんが、新潟県観光協会にイラストの使用差し止めなどを求め、東京地裁に仮処分申請していたことが分かった。カリグラフィー(西洋習字)の第一人者とされる進藤さんは4月以降、再三盗用を指摘してきた。進藤さん側の弁護士によると、公的機関が指摘を無視し、使用を継続するのは異例という。
 問題になっているのは、協会が6月末までの予定で展開している春の観光キャンペーン「にいがた花物語」のイラスト。漢字の「花」を題材にしたデザインで、3月以降、イラスト入りの観光パンフレット計30万部を作成し、JR東日本の駅構内で配布したほか、ポスターや協会のホームページなどでも使用している。16日午後、同地裁で開かれた第1回審尋で、協会側は全面的に争う姿勢を示した。
 申立書などによると、進藤さん側は筆文字で描かれた「花」の文字の形や筆の運び、「花」の部首を赤、部首の下の左半分を青紫、右半分を緑や赤などとする配色が、02年に創作した自分の作品に酷似していると主張。損害賠償訴訟も準備中だが「判決確定まで待てば被害が拡大し、回復不能になる」として、先に仮処分を申し立てた。
 進藤さん側は何度も使用中止を求めたが、協会は「制作を広告代理店に委託しており経緯が分からない」、代理店は「制作したデザイナーが偶然の一致と説明しており著作権侵害はない」と回答したという。
 進藤さんは「偶然の一致とは到底言えないほど酷似している。協会や代理店のチェックミス。直ちに使用を止めるべきだ」と話している。
 進藤さんは80年代「花」をモチーフにした墨や水彩絵の具によるグラデーションを生かした作風を確立。その後も、多くのバリエーションの「花」を創作している。

- 新潟県観光協会の話 この問題に関する対応は、すべて広告代理店に一任している。従って協会の考えについては(公表を)控えさせて頂く。
毎日新聞) - 6月17日15時7分更新

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みつけました。左が新潟観光協会のHPから、右が進藤洋子さんのHPから。明らかに盗作ですね。「いや、オマージュです!」(某デザイナー)

P.S. アップロードに手間取っていたら、すでに写真がYahooに出ていました。骨折り損。

絶対に勝たなきゃいけない試合に負けました。でもまだ終わってないだと。

オーストラリア戦の後遺症がまだ続いている。仕事をやる意欲が出ない。
それにしても何とひ弱な戦いであったか。FWが敵ゴール前で1対1になってもシュートを打てない。最後までパスをする相手を探している。まるで自分がシュートミスするのを恐れているような。結果的には、いくらミスしてもいいからとにかく枠の中に思いっきり蹴ればよかった。キーパーがはじくのを拾えばいいじゃないか。シュートを打てないFW(Y)なんて何で選ぶんだ。「スペースを作るのがうまい」だって。そんなの、当たり前。それをやりつつ、チャンスには自分で蹴る、それがFWだろうが。
 ディフェンダーは相当がんばったと思う。あれだけ防戦一方で休む暇なく体を張っていれば、最後に力尽きても責められない。MFから前は終盤何をしていたんだ。それにしてもヒディングに比べるとジーコはちょっとねえ。選手はブラジル人じゃない、へたくその日本人なんだから、もっとしっかりしたシステムを作っておかないと。中田、中村が徹底マークされるのは分かってるじゃない。その裏をかく戦略はなかったの。選手交代の人選もタイミングも何とかならんか。オーストラリアは交代選手が全部得点したんだぞ。そのくせ練習を全部公開して戦略ばればれ。というか実力のなさがばればれ。いまさらシュート練習一所懸命やってるところ知れば相手もそりゃ安心するでしょう。小野とか小笠原みたいな技のある選手をスタメンでうまく使える方法を一から考えておくべきだったのでは。
 ここ一番という時に弱気になって結果を出せない日本チーム。何でこんなに腹が立つのか。まるで俺だからか。。。

戻りました。

ケーブルのインターネットが元の速さに回復しました。何のことはない。モデムの電源を抜いて、リセットしただけです。イライラしてるとそんな簡単なことも思いつかない。みなさん、苛ついた時はいったんその場を離れ、深呼吸でもしてみましょう。外に出て歩くのもいいです(夜中はやめましょう)。昔の人は逍遥しながらいいアイデアや真理を思いついたそうです。
 なんだか前より速くなったような気がします。CATVインターネットの名誉のために、とりあえず報告しました。では。

オマージュ

和田氏の賞取り消しも 絵画酷似問題で文科相
 芸術選奨文部科学大臣賞を受けた洋画家和田義彦氏の作品がイタリア人画家の絵画と酷似していた問題で、小坂憲次文科相は2日の閣議後の記者会見で、賞の見直しを検討する芸術選奨選考審査会を5日に開くことを明らかにした上で、賞の取り消しに関して「あり得る。あらゆることが前提となる。公正で迅速な判断が求められる」と話した。賞が取り消されることになれば、1950年度に芸術選奨が始まって以来、初めてとなる。文科相は「芸術選奨は権威あるものとして信頼を得てきた。疑惑を持たれるようなことが発生したことは、誠に遺憾で申し訳なく思う」とした。和田氏が「盗作ではなく、オマージュ(画家に敬意を表した作品)として描いたものだ」と主張している点についても「審査会が判断する」とした。
共同通信) - 6月2日11時47分更新

 この和田氏の一連の作品はだれがどう見てもアルベルト・スギ氏の作品の模写であり、それを別のタイトルで自分の作品として発表したのだから盗作である。メディアは控えめに「酷似している」と書くが、それどころではなく、構図そのものがコピーである。和田氏は以前にスギ氏を何度も訪問し、そのたびに彼の作品を写真に撮っていたそうだ。私の想像では、和田氏はこの写真を引き伸ばして、何かの方法でキャンパスに写しとったと思う(アンディ・ヲーホールがマリリン・モンローの写真をそうやったように?)。テレビで見たかぎり、それほど2枚の絵はぴたりと重なっていた。もしそうなら、これは模写以下のレベルで、彩色の勉強をしたに過ぎない。絵画に限らず、音楽や文学などどんな芸術作品でもほんの一部を(少し形を変えて)拝借しただけでも、盗作と断定されるのが常であるのに、和田氏がこれは盗作ではないと言い張るのは常軌を逸している。
 悲しいのは、和田氏が「共同制作である」とか明らかな嘘をついたり(書かれた年が違う)、専門家が見れば明らかに違うと無理なことを言って、苦しくなってくると今度は「スギ氏の作品に対するオマージュである」とまたまた無茶な言い訳をしていることである。多くの人が「オマージュ」の意味を知らないとたかをくくっているのかも知れないが、完全コピーではオマージュとはいえない。Jazzでは、例えばMilesへのオマージュとして、彼が吹きそうなフレーズをアドリブの中に入れたりするが、それでも演奏家はMilesのフレーズを自分なりに解釈して、変化させるものだ。XTCの「Oranges and Lemons」とかBilly Joelの「The Nyron Curtain」がビートルズへのオマージュだったり、奥田民生の「アジアの純真」がELO(これはパロディーか)、初期作品の多くがビートルズだったり。和田氏の場合はアマチュアバンドが誰かの曲を完全コピーして演奏しているのと同じで、オリジナリティーはゼロである。
 要するに彼は学校の美術部に属す普通の中学生レベルである、いや、平気で人を騙し続けてきた点ではそれ以下である。嘘はばればきゃいいと信じるペテン師である。こんなやつが今まで排除されずに賞までもらうなんて、美術界とはどういうところだろうか。もしかすると、少々盗んだことを隠していて声を出せない人が他にも大勢いるのだろうか。私の仕事でいえば、研究論文の場合なら、すでに発表された内容であったら、たとえ自分ですべて実験をやり直したとしても、それを発表することは無価値とみなされる。それどころか、たまたま同じ時期に同じアイデアで研究していて、似たようなデータが出た場合でも、先に発表した研究者にしかプライオリティーを与えられない。遅れて発表した者はシンポジウムにも招待されず、研究費もさして貰えない。中には、人の未発表のデータを学会や投稿論文で知った後に猛然と同じ実験をして、先に論文発表してしまうような悪い奴もいる(というか普通に行われている)。
 話がそれたが、とにかく、コピー画家である和田氏の芸術家としての才能を認め、賞まで与えてきた日本の美術界は日本の恥である。和田氏は盗作、詐欺、嘘つき等々の罪で罰を受けなければならない。それが一般社会の常識であると思う。
 

いらいら

うちのあたりはFRETS光がなかなかこない。ADSLに加入していたのだが、もちょっと早いのがいいなと思って、でも光は布設の予定もないようなので、しょうがないのでケーブルTVのインターネットにしている。それが、最近遅い。ブラウザのリンクに飛ぶのに10秒くらいかかって、気が狂いそうである。同軸のケーブルは距離による減衰がないと書いてあったのに、どーゆーこと?ケーブルTVの利用者と共有すると混雑するのか?そんなに細い回線だったの?ううう。やはり、光がくるのを待つべきだったか。
「もっと光を」

生命科学

 新聞の生命科学関係の記事を見てると、「えーなんでこんなのが新聞に載るの?」とあきれることがよくある。新聞社に売り込む研究者も研究者だけれど、科学担当の新聞記者が何にも知らないことがよくわかる。科学担当記者ですらそうだから、一般の人々は推して知るべし。しかし、これは本当は深刻な問題。何故かというと、生命科学の知識が普通の人の生活に必要となる時代にきているからです。例えば、今政府が力を入れている人ゲノムの1塩基多型性(SNPといいます)のデータベース化。2万から3万種類と言われる遺伝子はすべての人間でほとんど全く同じだが、1000塩基に1つくらいの割合で人種間や地域間で異なる場合がある。ここですでに「塩基って何だ」という人が結構いるのでは。遺伝子はDNA上のA,T,G,Cという4つの文字(塩基)で書かれた暗号であり、この4つの文字のうち3つの並びによって1つのアミノ酸がコードされている。すべての生物の細胞を作り維持するのに不可欠なたんぱく質は20種類のアミノ酸のつながった鎖である。このくらいは高校の生物で習うので、知っている人はいるでしょう。しかし、これくらいはすべての国民が知っている必要があるのだ。例えば、「酵素入り洗剤」などと宣伝している商品があるが、酵素は何百種類もあり、それぞれ働きが全然違う。洗剤の場合は蛋白分解酵素だと思うが、それでも何十種類もある。「アミノ酸飲料」っていうけど、どのアミノ酸が入ってんだ?そしてそれがどうして体にいいんだ?肉や魚や大豆食べてりゃタンパク質が体の中で分解されてなんぼでもアミノ酸が採れるじゃないか!といつもテレビCM見ながらぶつぶつ言っている。
 話を戻して、SNP。遺伝子の塩基配列(文章中の文字みたいなもの)の中でどこかで1つ2つの塩基が人種や地域間で違うことを多型という。もともとはある人(猿の時代かも)に起こった突然変異だけれど、その子孫にそれが伝わってその人の地域にその変異型が広まったもの。最近では人の移動が激しくなったから、同じ変異型の人が各地に散らばっていることが多い。1個の塩基が変わっても、それによって必ずしもアミノ酸が変わるわけではないが、時々アミノ酸がかわりその遺伝子の作り出すタンパク質の性質や量が変わることがある。その微妙な変化によって、その人がどんな病気になりやすいか、どんな薬が効くか効かないか、どんな薬に副作用を示すか、などを統計学的に調べようという国家プロジェクトです。よく知られている例としてはアルコール分解酵素の遺伝子のSNPで、遺伝子中のある塩基がGだったらお酒に強く、Aだったら弱いということが判っている(このGとAは記憶が定かでないため違うかもしれません)。この多型性の場合は、アルコール分解酵素の働きが強いか弱いかなので、非常に分かりやすい。しかし、多くの場合、その遺伝子の働きさえ分かっていないことが多く、ましては1塩基の違いがどういう機能の違いをもたらすかについてほとんど分かっていない。それは後で考えるとして、まずは多くの人の膨大なデータを集めることによってこの遺伝子多型性と病気になりやすさや薬に対する反応性との関連性を決めていこう、というのがこのプロジェクト。しかし、事は簡単ではない。人がある病気になりやすいのは必ずしも遺伝子が決めているのではない。甘いものばっかり食べている人は肥満や糖尿病になりやすいし、タバコを吸う人は肺がんになりやすい。薬の効きやすさもその人の食生活や体脂肪によって変わるだろう。遺伝子多型が影響を与えることもあるだろうけれど、それは1つではなく3つも4つもの遺伝子多型が組み合わさって影響している場合、因果関係を見つけるのは至難である。幸運にも因果関係が分かったとしても、こんな例はどうだろう。ある遺伝子のある場所の塩基がGの人が肺がんになる確率は1000人に1人、Aの人が肺がんになる確率は1000人に2人、よってA型の人はG型に比べ、2倍も肺がんになりやすい。実際これに近い話は医学論文にいくつも出ている。しかし、よく考えてみると、どっちにしても確率はかなり低い。しかもその遺伝子が直接肺がんを引き起こしているわけでもなく(確率が低いから)、本当に肺がんの発症に影響を与えているかどうかすら怪しい。
 ところがである。この「2倍肺がんになりやすい」という結論がどんどん独り歩きしていく可能性が高いのである。赤血球の細胞膜上の糖鎖の違い(血液型)で人の性格が決まると多くの人が信じている現状を考えれば、SNPデータベースから明らかになったというこの結論ははるかに科学的で正しいものと信じられるだろう。もしあなたがA型だったら、G型の人よりがんになりやすいと不安に思うだろうし、気の早い人は将来に絶望するかも知れない。もっと現実的には、あなたは結婚の際に敬遠されるかも知れないし、健康保険代だってG型の人より高くつくだろう。明らかな差別である。SNPと病気との関連性がもっとたくさん見つかって、ほとんどの人が1つや2つの病気になりやすいという状況になれば、そんな差別もなくなるかもしれないが、はじめのうちはたまたま不幸にもその「はずれ」の遺伝子型を持っていた人は悲劇である。
 「病気になりやすい」だけではない。「頭がいい」「背が高い」「精神がおかしくなりやすい」などのSNPもそのうち発表されるだろう。想像してみてほしい。つい最近まで人類は肌の色の違いだけで人を差別していたのだから、SNPという科学的裏付けのある理由で人を差別しないはずがないでしょう。だから。一般の人も生命科学の知識が必要ということです。遺伝子とはどういうもので、SNPがどうやって調べられ、どの程度、人の特性に反映されるのか、そんな知識があれば、だれも「科学的」だからといって、SNPと病気との関係を盲信することはないでしょう。しかし、これは急を要することです。みんなが何のこっちゃ分からないまま、SNPという「差別の根拠」が生み出されていくのは、あと数年以内に十分起こり得ることです。
 他にも遺伝子の知識が必要な場面はすでに日常になりつつあります。例えば「遺伝子診断」によって生まれてくる子供の病気になりやすさを調べることが実際に行われています。その結果100%その病気になるのだったらまだ分かりやすいけれども、30%だったらどうか。その子供を産むべきか。生命科学の知識がなければ判断のしようがない。あっても判断に困るだろうけど、少なくとも自分で納得して決断することができる。他にも、例えば「遺伝子組み換え大豆」は怖いから買わないという。何の遺伝子がどう改変されているのか全く知らないのに「遺伝子組み換え」は怖いと盲信しているわけ。人に害となるような遺伝子組み換えをやっている訳ではないのに。組み換えたDNAを食べるだけでも害があると思っている人はいないだろうか。どんなDNAでも消化管で分解されてばらばらの核酸になるのです。肉、魚、野菜、細胞からなるものにはすべてDNAが入っています。それらを食べるのと同じ事です。
 そんな訳で、遺伝子や細胞や体のしくみやについてはみんなが知っておくべきで、中学で習う数学や物理化学なんかよりずっと生活で必要性が高いと思います。どうして義務教育では、植物の葉緑素がどうだ、地層がどうだ、などと普段の暮らしに関係ないことを真っ先に教えるんですかね。